出版翻訳家は翻訳だけで食べていけるのか
ひとくちに「翻訳家」といっても、主にビジネス関係の書類を訳す産業翻訳家(実務翻訳家)もいれば、出版することを前提に外国語の本を訳す出版翻訳家もいます。また会社から給料をもらって社員として働く社員翻訳家もいれば、フリーランスの翻訳家もいます。その全部をひっくるめて「翻訳家」として論じるのは無理がありますので、ここでは出版翻訳家に限ってみていくことにしましょう。
鈴木主税氏は「かつての翻訳者はそれぞれのジャンルですでに名を成した人が多かったため、当然、啓蒙家ないし一種のオピニオン・リーダーと目されていました。また、翻訳という仕事が職業として認知される以前には、大学で教鞭をとっている学者の先生がたが自分の研究テーマにかかわる外国の文献を訳して公刊する例が多かったこともあって、いわゆるノンフィクションの場合、読者はいまでも翻訳者をその分野の専門家と見なす傾向があるようです」(『職業としての翻訳』)と述べています。
鈴木氏が述べているとおり、出版翻訳家は自分の名前で訳書を出せるという見てくれの良さがあります。ですから、もしも報酬その他の条件が同じであれば、多くの人は自分の作品とならない産業翻訳(実務翻訳)よりも自分の作品となる出版翻訳をやりたがることでしょう。訳書が出版できるようになってやっと一人前と見なされるといった風潮すらあるようです。
しかし、見てくれのよさに反して出版翻訳家の「現実の生活はおおむねそれほど恵まれているとは言えません」(同上)。その原因は「仕事の労苦をつぐなう収入につながらないことが多く」、また「出版契約を交わしていないために著者あるいは訳者がひどい目にあうケースのほうが多い」(同上)ことです。
鈴木氏はこうした現状をふまえて「職業としての翻訳は成り立たないと結論したくなる」(同上)と述べています。平たく言えば、出版翻訳だけでは食べていけないということです。
著者も鈴木氏に同感しています。著者自身すでに30冊近い翻訳書を出していますが、翻訳印税以外にも収入がありましたし、未婚であることもあり、食べていくことができているのです。けっして翻訳印税だけで生活が成り立っているわけではありませんし、成り立つとも思えません。
著者の率直な感想を述べれば、出版翻訳はお金目当てでやる仕事ではありません。少なくとも5年くらいは遊んで暮らしていくお金がある人が趣味でやる分にはかまわないと思いますし、あるいは、他にしっかりとした稼ぎ口がある人が、休日だけを翻訳作業に当てて十分納得のいくクオリティの翻訳ができるだけの超長期の翻訳期間をもらってライフワークの一つとして名著を訳すというのも悪くないと思います(もっともそのような超長期の翻訳期間をくれる出版社があるとは思えませんが)。
しかし上記のようなお金をあてにしなくていいという人たちを除けば、出版翻訳だけでは食べていけないケースが多く、また「出版契約を交わしていないために著者あるいは訳者がひどい目にあうケースのほうが多い」(同上)状況下、出版翻訳だけで食べていくことを目指すべきではないと筆者は考えます。