目的言語・手段言語・交流言語
鈴木孝夫氏は学ぶ外国語を目的言語、手段言語、交流言語の3つに分類しています。
目的言語とは、その言葉を話す民族を知り、交流するために必要な言語です。しかし、その他のことに応用が利きません。鈴木氏はその例としてトルコ語、ペルシャ語、朝鮮語を挙げています。
トルコ語にしても、ペルシャ語にしても、朝鮮語にしても、その言語を話す国や文化に興味がなければ勉強するモチベーションはあがらないでしょう。
手段言語とは、人類の知恵や技術がたくさん蓄積されているがために、自らを高めようと思えば勉強せざるをえない言語です。こうした言語の場合、その言語を話す民族に興味がなくても、モチベーションはあがります。
手段言語は時代や国によっても異なるものですが、日本の場合、明治初期に岩倉使節団が世界を見た後に、英・独・仏の大切さを訴え、それまでの漢学より優先されるようになりました。
これを鈴木氏は「トロイカシステム」と呼んでいます。「英語を中心の馬として、それにフランス語とドイツ語という二頭の馬を左右につけて、日本という国家を引っ張らせる体制が明治十年頃確立した」(『英語が第二の国語になるってホント!?』154ページ)のです。
戦前の日本はほんの一握りのエリートだけが英語、ドイツ語、フランス語で書かれた文献の読解を学び、国の向上に貢献したわけです。会話はできなくても、解読することで先進国に近づいていったのです。
交流言語は、文字通り、交流するための言語という意味です。わかりやすく説明すると、英語のネイティブ以外の者同士が(たとえば、日本人と韓国人が)交流するときに使う言語ということです。
この交流性がもっとも高いのが英語です。「人類始まって以来、地球全部を一つの言語が覆うというのは、ローマ時代のラテン語でもなかったこと」(同書162ページ)でした。それくらい英語の交流性はすごいのです。
フランス語も交流性の高い言語といえますが、日本人に限っていえば、日本はアフリカとの交流があまりないため、フランス語の交流性を感じることがないでしょう。
こうして考えてみると、英語は目的言語にもなり、手段言語にもなり、交流言語にもなる、万能の言語ということがわかります。