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私が考える黄金比率

最近、英語の世界では「4技能を見よう」という動きがある。一概に反対はしないが、4技能を見るにしても「1対1対1対1」の比率で見るのははたして妥当なものかと疑いたくなる。

例えば、TOEFL iBTという試験があるが、4技能がそれぞれ30点満点で、トータル120点でその人の総合力としての点数が出る。4つのそれぞれの技能が「1対1対1対1」で評価されているのである。アイエルツも4技能の単純平均値によってその人の総合力が判定されるので、やはり「1対1対1対1」なのだ。

元東大名物教授と評される行方昭夫氏は『英会話不要論』(文春新書)という本を著しているが、タイトルからわかるとおり、英会話力など不要だと主張している。その理由は、一般の日本人にとっては、リーディング以外の能力を使うことなど生涯に何回もないからだ、というものである。

ただ、私から言わせれば、リーディングの能力ですら学校卒業後一生使わない人もたくさんいるので、行方氏の「リーディング以外の能力を使うことなど生涯に何回もないから」という理由で「英会話力は不要」と主張しているのには首をかしげたくなる。そんな理由なら、リーディングだって多くの人にとっては不要だからだ。

私は、英語力を評価するときは、人それぞれの最終目標が何なのかを考える必要があると思う。

例えば、企業が産業翻訳家を採用する際、翻訳力だけで評価したとしてもあながち間違いではないと思う。実際、私は27歳のときに某会社に産業翻訳家として入社したが、その際の入社試験は英和翻訳と和英翻訳の試験だけだった。つまり、スピーキングもリスニングもライティングもリーディングも試験はなかったのである。そしてそれはそれでそれなりに妥当だと思う。なぜなら、スピーキングがネイティブ並みに抜群でも翻訳ができない人なら産業翻訳家としては何の役にも立たないからだ。

では、一般の人の英語力を判定するにはどうすればいいか。

「一般」という言葉の定義を明確にしないかぎり答えようがないが、ここでは「特に最終目標を決めていない語学学習者」として考えてみよう。平たくいえば、「出版翻訳家になると決めているわけではない学習者」「通訳になると決めているわけではない学習者」「英語教師になると決めているわけではない学習者」…となるだろう。

私が考える黄金比率は「リーディング40 リスニング30 ライティング20 スピーキング10」だ。だから現行のTOEFL iBTもアイエルツも、試験そのものは同じでも、この比率にして換算するのがいいと思う。私は、行方氏のように「話す機会がほとんどないから」という理由でスピーキングを排除しようとは思わない。そんなことを言ってしまえば、リーディングだって、自分から機会を作らない限り、読む機会などないのだ。

TOEFL iBTもアイエルツも国際的に評価される試験であり、イギリスでは特にアイエルツで入学できるか否かが判定される大学が多い。しかし、イギリス留学を経験した私から言えば、やはり「1対1対1対1」で評価するのはいかがなものかとしか思えない。

イギリスの大学院の授業は、大学の授業と異なり、受動的な授業ではなく、個々人が討論に参加しなければならなかった。10名程度の学生がコの字形に並んだ席について2時間にわたって討論をするのである。だから、当然、スピーキング力も必要とされるはずと思うであろう。しかし、たいていはイギリス人が討論の主導となり、ノンネイティブはあまり発言をしなかった。特にヨーロッパ以外の国の人はあまりしなかった。かくいう私自身はノンネイティブの中では発言はしたほうだとは思うが、年間を通して、ただの一度も発言しなかった人も何人かいた。つまり彼らは「スピーキングの能力」を授業中に一度として使用しなかったのである。しかしそれでも彼らは修士号を得ていた。

これは、どういうことかお分かりであろう。修士号を得るには最終筆記試験や論文の出来で決まるのであり、スピーキングの能力を一度も発揮しなくても修士号は取りうるということである。では、最終筆記試験や論文でいい成績を取るには何か必要か。当然、リーディングやライティングである。だから私はリーディング40、ライティング20という比率にしたのだ。リスニングを30としているのは、いくら授業中に一度も発言しないにしても、授業で何が議論されているかを知るにはリスニング力が必要だからである。ライティングは筆記試験や論文を書くときに必須だが、逆にいえば、それ以外ではそれほど必要とされないから20にした。

私はここで私の経験を踏まえたうえでの「黄金比率」を考えてみたわけだが、「黄金比率」は人それぞれ異なるはずだ。何も私の「黄金比率」が最も妥当だと主張するつもりはない。また、英語と英語以外の言語でも「黄金比率」は異なるであろう。

ただ私が一つ思うのは、「1対1対1対1」で評価するのに疑問を呈する人はけっして少なくないのではないかということである。そういう人は、TOEFL iBTやアイエルツ等の「1対1対1対1」の評価に左右されることなく、自分にとっての「黄金比率」で学習に励んでほしいと思うのである。