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Shimizu_Ikutaro清水幾太郎の外国語学習論の第二の柱は「(洋書を)わからなくてもいいから最後まで読み通すこと」である。清水氏はいう。

無茶なことを言うようだが、知らない単語にぶつかっても、慌てて辞書を持ち出してはいけない。そこが、学校の授業と違うところである。また、文法的にわからない箇所があっても、あまり考えこむ必要はない。そんなことは無視して、先へ進むことが肝心である。(中略)日本語の本の場合と違って、洋書の場合は、絶対に途中でやめてはいけない。内容がわからなくてもよいから、必ず最後のページまで読み通すことである。(中略)不思議なもので、最後のページまでたどりついて、振り返ってみると、その本が何を言おうとしていたかがボンヤリと浮かび上がって来るものである」(『本はどう読むか』講談社)

私は、この清水氏の主張に賛同する部分がまったくないわけではないが、おおむね賛同できない。

まず賛同できる部分から述べてみたい。

原書をスラスラと読む実力がない人の場合、辞書を引きながら正確に読もうとすれば、わずかなぺージを読むだけで日が暮れてしまう。正確に理解しようと思えば思うほど、読むスピードは遅くなるし、読むスピードが遅くなればなるほど、全体像が見えにくくなる。「木を見て森を見ず」という言葉があるが、正確に読もうとすればするほど「木を見ているだけで森が見えてこない」ということになりかねない。だからこそ、全体像を見るために、少々分からないことがあっても気にせずに最後まで読み通そうというのは分かる。

しかし清水氏は「洋書の場合は、絶対に途中でやめてはいけない。内容がわからなくてもよいから、必ず最後のページまで読み通すことである」と主張している。

この主張に対して私が思うのは、それが果たして万人向けの学習法なのか、ということである。清水氏は東京帝国大学(現在の東大)を出ておられるが、この主張は、そんな東大出の秀才が秀才のために説いた主張にしか思えない。はたして一般人に対しても清水氏は同じことを主張するのだろうか。少なくとも私には到底、真似ができない。

例えば、私は二十歳くらいのときに英語の本を何十冊か買った。もちろん読もうと思って買ったのだが、途中で挫折したものばかりであり、最後まで読めたものは皆無に近い。実力が伴っていなかったというのが最大の原因だが、そんな私に「絶対に途中でやめてはいけない」と言われても、そんなことはできる相談ではない。投げ出すのがオチである。

しかも清水氏は「不思議なもので、最後のページまでたどりついて、振り返ってみると、その本が何を言おうとしていたかがボンヤリと浮かび上がって来るものである」と述べているが、最初から躓いてしまったら、そもそも「最後までたどりつくこと」自体が無理だ。

はたして、読者のみなさんはどうだろうか。内容が分からないのに「最後まで読み通せ」と言われて、本当に最後まで読み通すのだろうか。分からなくなった時点で投げ出す人のほうが圧倒的に多いのではないだろうか。

少なくとも私は内容が理解できない本には興味が持てないし、興味が持てないものを最後まで読み続けたいとは思わない。それで本当に外国語の本がスラスラ読めるようになるのなら苦労は要らないと思う。

それならば私ならどう主張するか。私ならこう言いたいのだ。

正確な理解を求めれば求めるほど読むスピードが遅くなり、読む楽しみが減じる可能性があるので、読む楽しみを味わいたいのであれば、正確に理解することにはこだわらず読み進めてもよいだろう。ただし、読んでも意味が分からなくなって興味が失われるようであれば、翻訳書を併読しながら読み進めるのも一つの手である。翻訳書がない場合、あるいは翻訳書に頼りたくない場合は、電子辞書を利用するなどして、おおまかな意味をつかみながら読み進めるのもいいだろう。要は、途中で興味を失わないようにすることが肝心である。それでも、途中で分からなくなって興味が失われてしまったら、その本は読むのを止めてもいい。もっと興味が持てる別の本を探してみよう。無理な勉強を自分に強いて外国語が嫌いになってしまっては元も子もない

清水氏は「洋書の場合は、絶対に途中でやめてはいけない。内容がわからなくてもよいから、必ず最後のページまで読み通すことである」と述べた。一方、私は、途中で理解ができなくなったら翻訳書なり電子辞書を利用するなどして、多少なりとも理解できることを前提に読み進めることを提案する。そして、その次が決定的に違うのだが、途中で興味が失われたら、その本を読むのは止めることをお勧めする。自分に無理強いして外国語が嫌いになってはいけないからである。それよりも、もっと自分に合った別の本を探したほうがよほどいいと思う。

はたして、どちらが万人受けする学習法であろうか。

誤解しないでいただきたいが、別に私は私の学習法のほうが清水氏の学習法より優れていると言いたいわけではない。それぞれ自分に合った学習法で学習するのが最良だと思っているし、だからこそ私の主張を選択肢の一つとして述べただけである。