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英語は話せるようにならなければ意味はないのか

 成毛氏(元マイクロソフト社長)が著書『日本人の9割に英語はいらない』を書いた第一の理由は「英語を勉強するのは無意味」ということを伝えたいがためだったそうです。

 彼は同書の中で「日本では中学から大学卒業まで10年間英語を学んでも、まともに話せるようにならない。やはり、日本の英語教育はおかしい」と述べています。いかにも「話せるようにならなければ英語を勉強しても意味はない」とでも言いたげです。

 ところが驚くことに彼は同書の別の箇所で、たとえ話せるようになったとしても、日本では話せる場所がないから、勉強しても意味はないという主旨の主張もしているのです。

 つまり、話せるようにならなければ勉強しても意味はないけれど、たとえ話せるようになったとしても日本では話せる場所がないのだからどっちみち勉強する意味はない、ということです。こうして彼は「英語よりゴルフを身に付けたほうがビジネスでは役に立つ」といってゴルフを勧めているのです。

 さらに彼は留学の意義すら否定するようなことを書いています。彼いわく、「留学したところで、英語が話せるようになるだけ」。

 さて、ここで考えてみたいことは次の2点です。

 1つは、まともに話せるようにならない日本の英語教育はおかしいのか?

 もう1つは、話せるようにならなければ勉強しても意味はないのか?

 まず1つ目のテーマから検討してみましょう。

 たしかに大学を卒業した日本人でも、まともに英語が話せる人は少ないでしょう。しかし、まともに話せなくても、英語の書籍を読めるようになったり、英語の動画を視聴できるようになったり、英語で論文を執筆できるようになった人も少なくないでしょう。そういったことができるようになるのも、中学・高校で英語の基礎を学んできたからに他なりません。

 実際、筆者は大学時代、スピーキング力はほとんどありませんでしたが、専門書の大半は英語で読みましたし、卒論も英語で執筆しました。英語での専門科目の講義もありましたら、リスニング力も使用しました。ですから、中学・高校で英語を学んでいたことがそれなりに活かせたのです。

 こういう経験があるから、成毛氏の「日本では中学から大学卒業まで10年間英語を学んでも、まともに話せるようにならない。やはり、日本の英語教育はおかしい」という主張は、リーディング力、リスニング力、ライティング力を身に付けることによって得られる恩恵を軽視した見方に思えてしまうのです。

 成毛氏自身主張しているように「日本では英語を話す場所がない」のであれば、なおさら、英語が話せるようになる英語教育を目指すよりも、リーディング力、リスニング力、ライティング力を伸ばす英語教育のほうが日本の文化に合っているといえるでしょう。

 したがって中学・高校ではスピーキング以外のスキルに専念した教育を行うことは、成毛氏が非難しているほど「おかしい」ことではないと考えます。筆者の目から見れば、むしろ日本の文化に合っているとすら思えます。

 もちろんスピーキングのスキルを高める授業がもっとあってもいいでしょうが、人材的・費用的な観点から現実的ではないでしょう。スピーキングのスキルを高めたい人は留学するとか英会話学校に通うなどの方法も取れるわけですから、「話せるようにならない」からといって学校教育だけ槍玉にあげて「おかしい」と非難するのはお門違いというものです。

 では、2つ目のテーマはどうでしょうか。

 先に述べたとおり、スピーキングの力はほとんどない人であっても(翻訳書が出ていない)原書を読んだり、英語の動画を視聴したり、英語で執筆したりする人は多くいます。こういった側面に価値を一切認めず、「話せるようになることだけ」に価値を置く人は、「話せるようにならなければ勉強しても意味はない」と思うのでしょうが、それはその人がそう思うというだけの話です。

  「話せるようにならなければ勉強しても意味はない」という見方は、リーディング力、リスニング力、ライティング力を身に付けることによって得られる恩恵を知っている人から見れば、非常に偏った見方にしか思えないでしょう。