文献万能主義の是非
日本は「四方を海で囲まれ、直接外国と国境を接することが全くないという国は、世界広しといえども、他に余り例がない」(『日本語と外国語 (岩波新書) 』鈴木孝夫)という地理的特徴をもつ国です。
そのような国であるため、日本は古来から、外国語は主として本で学ぶもの、文献によって研究すべきものといった伝統(これを鈴木氏は「文献万能主義」と述べています)があります。
そこで、ここでは文献万能主義の是非を考えてみることにしましょう。
まずは肯定的な側面を見てみましょう。
いくら国際化時代が到来したといっても、四方を海で囲まれているといる日本の地理的特徴が変わるはずもなく、日本人の圧倒的大多数はこの後も(余程のことがないかぎり)外国語ができなくても一向に困らないという状況は変わらないでしょう。
特に会話能力に関しては「相当長期にわたる海外生活やら、特別な家庭環境がなければ(身につけることが)不可能」(『英語教育大論争 (文春文庫) 』渡部昇一)ですから、外国語を話す機会もなく必要もなければ、会話能力を身につけようというモチベーションはなかなかあがらないでしょう。そのような人たちに会話能力を身につけさせようとするのは無理であるばかりか、反感を買うのがオチだと思われます。
その点、読解力に関しては、身につけさえすれば、海外の書物が好きなだけ読めるというメリットがありますし、IT時代が到来した今、海外のウェブサイトも読み放題です。特に学問を志している人であれば、海外の専門書が読めるメリットは大きいといえます。なにしろ、世界大学ランキングの上位のほとんどは英米の大学です。ゆえに、読解力を高めることを主とする文献万能主義的な教育は今後も存続させるメリットはそれなりにあると考えていいでしょう。
ただし、文献万能主義には否定的な側面もないわけではありません。
鈴木氏は同書で「外国の文化や外国人のものの見方、考え方などを知るためには、そのつもりで専門的に研究することなく、ただ漠然と外国語に長期間接していても、あまり効果はあがらない」と述べています。たとえば、漠然と英語を勉強していても、アメリカ人やイギリス人のものの見方、考え方はわからないままだということです。
筆者も鈴木氏の主張は一理あると考えます。たしかに、いくら英語が読めるようになっところで、アメリカの文化やアメリカ人の思想がわかったことにはなりません。そして、それを自覚していなければ、国際交流も円滑にいかないでしょう。
ただ、たとえばアメリカの文化を知りたいのであれば、英語の読解力をつける以外にアメリカの文化を別途専門的に勉強すればいいのであって、英語の読解力をつけたところでアメリカの文化を知ったことにならないから意味はないということにはならないと筆者は考えます。国際交流を円滑にしたいと思う人は、英語も学び、相手国の文化も別途学べばいいだけの話です。
結論として、日本の地理的特徴を考えれば、日本は今度も会話力よりも文献読解力に重点を置いた教育を継続してよいと考えます。ただし、IT時代が到来した今、インターネットで動画が見放題であることを考えれば、読解力だけでなく聴解力をも身につける教育の比重を高めてもいいような気もします。そして国際交流を円滑に行いたいと思う人は、外国語を身に着けるだけではなく、外国の文化をも別途専門的に学ぶといいとでしょう。